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わが会社人生に悔いなし№20

シニアライフ

前回は平成1~5年頃の全国へのすざましい成長具合、画期的な出来事をお話しました。今回は、引き続き名古屋地区での出来事をお話しします。私は退社していますが、ここでは「わが社」と言わせていただいています。

順調に進みだしたわが地区、わが会社

このころからの10年は、本社地区の施工棟数には追い付き越していきだし、全国の営業地区の中でも一番の地域に成長していきました。また、技術的な面では、徐々に良くなり、自信を深めていた時期でした。会社的にも大きな出来事が次々に起こり、社外に対しても自信がわいてくる時期でした。
①阪神大震災で改めて、わが社の家が頑強だと確信しました。

入社当初からの頑丈な家づくりは、間違ってなかった。やはり人の命を守ることができるシェルターとしての家の重要性を感じ、地震対策のさらなる強化が必要と感じました。会社の代表として、阪神大震災の直後に地震調査に行ったことは、会社人生の中でも貴重な体験になりました。
②H社が設立され、今のわが社の礎ができました。
H社の工場に連れて行って頂いたとき、この広大な土地に広大な工場に多くの人たちの力で家の部材が造られていくのを見て、さらに大きな夢を見させていただきました。
③展示場が200か所以上になっていきました。
私が入社した時、5つほどの展示場が200になるとは、思いもよりませんでした。
④東京本社ができました。わが社は2か所の本社体制。
⑤浜松本社センタービルが完成しました。
⑥20周年式典が開催されました。
⑦免震住宅が発表されました。
この免震住宅であれば、地震で倒れた家の下敷きになったり、家具の下敷きになって命を落とすことがなくなると思うと、すごいパワーのある会社に入ったなと感じました。

後輩たちの成長

①後輩たちが成長して、それぞれ営業所のリーダーになる。
②ある事故をきっかけに安全第1の姿勢が刻まれる。
③全国で安全大会が開催される。
④名古屋の棟数は全国1を続けていたが、いよいよこの棟数を超える地区が出る。
⑤これからは、本社・東海地区・北関東が切磋琢磨して、質的にも全国を引っ張ることになる。
⑥毎年多くの新入社員が入社し、私が入社してから15年程達ち、優れた人材が育っていることを肌で感じる。
⑦工事課には女性社員も多く活躍する様になる。男女別なく優秀な社員がいるなと感じる。

今までも木造住宅では、どこにも負けない家づくりをしていると思っていたが、数的にも・技術的にも世間に認められ、名前もある程度知れ渡るようになったことは、非常に感慨深い。
しかし、まだまだ忙しさは、半端なく、住宅を造る意気込みのある人たち誰もが、あこがれるほどの会社には、ほど遠いと感じていた。

次回は、自分のエリアの営業所だけでなく、他の地区も責任を持つ立場になり、大変な時を過ごしたお話をしたいと思います。ぜひ、ご覧ください。

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