前回は、2回目の転勤先でのその後の様々な出来事についてお話しました。今回は、この時期の全国へのすざましい成長具合、画期的な出来事をお話しします。私は退社していますが、ここでは「わが社」と言わせていただいています。
平成元年~5年ごろのわが社
①工場がいわば国が認定するJAS認定工場になる。
②建設大臣・木造住宅合理化システムの認定を受ける。
③木材の乾燥処理機がAQ認定を受ける。
④CHS「センチュリーハウジングシステム」の認証・認定を受る。
⑤国が認める住宅部門6冠王となる。
⑥今までの手書きの図面からCADの図になっていく。
⑦アメリカに梁桁材の工場ができる。
⑧インテリア関係のためのヨーロッパ事務所開設。
⑨本社インテリア館完成。
⑩日本初の木造の3階建実大耐震実験を本社工場にて行う。⇒木造の3階建ての強さ実証。
⑪パリダカールラリーでわが社のロゴを背負って、トラックが走る。⇒私もTVで見て感動しました。
⑫栃木県にも工場ができる。
⑬サハラ・マラソンのスポンサーになる。
⑭名古屋インテリア館が完成。
⑮名古屋インテリア館ビルの上に住宅の模型が建つ。⇒当時、だれが住んでるのかと話題になる。TVでも取り上げられこの地区では、少し有名になりました。
⑯地盤調査課開設。
⑰年間受注棟数が2000棟を超える。
⑱全国で100~200展示場になる。
会社の成長に伴い工事課は?
①和風の住宅会社から洋風の住宅会社に代わっていく。⇒和風も得意ですが比率がだんだん低くなる。
②実物大の実験でわが社の技術が優れていることが立証できて、監督する私たちも誇らしく思う。
②広告しない会社が、パリダカ・サハラマラソンのスポンサーになり、びっくりしたが、工事課にとっては、名が知れ渡りすべての交渉が順調に行きだすような気がした。
③九州から北関東まで展示場ができ、わが社の良さが全国的になりだす。
⑤インテリア館もでき、外部だけでなく、内装の大きな差別化でき、磨きがかかる。工事監督たちの自信もより深まる。
⑦全戸地盤調査を行う事は、大変でしたがこの地区でも沈下の問題もあり、より安心により科学的に工事を行うためには、必要でした。今までは、今までの事例と感で行っていましたので格段の違いです。そして地盤調査を行う場合も、外注でおこなっていましたので、心配な部分は多くありました。
⑧もうすでに私が所属する名古屋地域は、本社地域の棟数の数では、引けを取らないようになる。
次回は、引き続きその後の名古屋地区の出来事をお話ししていきます。ぜひ、ご覧ください。
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