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わが会社人生に悔いなし!№6

シニアライフ

前回は、紹介した先輩諸氏との思い出話をお話ししました。今回は、思わぬことで新人現場監督になった頃のお話をしたいと思います。すでに私は退社していますが、ここでは「わが社」と言わせていただいています。

新人監督時代の先生

まずは、少ない間でしたが1か月ほどで退社する先輩現場監督に指導を受けた時のお話をしようと思います。その先輩は、建設関係の出身で住宅から大きな建物までこれまでも現場監督としてやってきた人でした。職人掌握力は、素晴らしかったです。現場で職人さんとの接し方・話の仕方を学び、現場の段取りの仕方・工程表の作り方等を学びました。しかし、短い時間での学びでしたので十分なものではありませんでした。1か月やそこらで監督業ができるものではありません。まあ、今ある現場をひと通り確認をしたかしないうちにお別れになってしまいました。また、話しますがこれからの長い監督業の初めの1歩になります。

そして、1人になり、まずは現場重視でとことん現場を回り、現場の状況・職人さんたちとのコミュニケーションをとることに勤めました。まだまだ、職人さんたちが強い時代で特に新人監督は、何も知らないので馬鹿にされ、うまく使われるような環境でした。そこで、考えたのは、腕の良い職人・心優しい職人・腕の悪い職人・根性の悪い職人・意地悪な職人は、ある程度すぐにわかる用のなりましたので、腕のいい・立派な職人さんとの時間を作るために10時15時の休み時間に訪ねて、親しくなり、自分の先生としてお付き合いをさせて頂きました。具体的には、わからないところがあれば、その職人に聞きに行き、答えを出していきました。例えば、腕の悪い職人・意地悪な職人には、これでいいんだと押し切られそうになぅたりしたときは、先生としてあがめる職人さん大工ならば棟梁・他の職人ならば、親方に聞き、答えを頂き、再び悪い職人・意地悪な職人の基に行き、こうですよねと新人ですからまずはお願いするわけです。こうして何年か経つと職人さんたちから、認められるようになり、私への呼び方も〇〇君から〇〇さんの自然と変わってきました。この時期が、私が監督業として、自分なりに1人前だなと思い始めた時期とほぼ一致しました。

新人監督時代のもう一人の先生

そして、私のもう一人の先生は、契約して頂いたお客様です。やはり初めは〇〇君から始まり、これはおかしいよねと、答えを求められたり、無理なお願いを受けてきたり、頭の中が混乱してどうしてかわからなくなることがしばしばでした。さすが住宅業界は、「クレーム産業」というだけのことはあり、問題が山積みになります。棟梁・親方たちに答えを求めたり、他のグループ会社の先輩監督に教えを乞うたり、営業の先輩たちに相談したり、時間をかけて解決へと頑張りました。その結果、様々な問題が解決し、ほとんどのお客様からは、「ありがとう」の言葉を頂き、非常に感激しました。様々な問題提起をしてくださり私の知識が豊富になり、お客様対応の基礎がこの時期にできたと思います。「お客様がもう一人の先生」になって頂きました。このような事を通して、いくら100点のいい仕事をしても、お客様が喜ばなければ意味がない。」事を悟りました。それからは、80点でもいいから、お客様に喜んでいただこうと必死に現場監督業を突き進みました。100点がベストですが、現場で行う事で精密機械が造るのではないですから、ご理解ください。

今回は、新人監督としての初めの出だしのお話をしました。次回は、少し慣れてきてからの監督としての様々な出来事をお話ししたいと思います。ぜひご覧ください。

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