前回は、入社後と周りの先輩諸氏のことをお話ししました。今回は、紹介した先輩諸氏との思い出話をしようと思います。前回もお話ししましたが、すでに私は退社していますが、ここでは「わが社」と言わせていただいています。
個性ぞろいの武人たち
とにかく、住宅営業の世界は、売ってなんぼの世界、売らなければ、立場・お金の面では天と地。新人住宅営業として、この展示場の配属され、朝の掃除から、お客様へのお茶出しまで、何でも雑用係として身を粉にして働いていました。私の場合は、この上下関係・雑用係は、中学高校6年間剣道部として、厳しい、はたまた理不尽な世界には、いい意味で慣れていましたので苦になりませんでした。ということは、学生時代の苦しい経験は生涯生きるという事かもしれませんね。そして、この会社はむしろ面白い先輩がいるものだなと思ったのです。なぜ、この先輩は、まっすぐに殴られようが突き進むのか?なぜこの先輩は、女性の付き合いが上手でもてるのか?なぜこの先輩は、痛い目にあっても賭け事が好きなのか?なぜこの先輩は、どんな時でもカッコよく過ごせるのか?そして、皆住宅の契約を何棟も上げてくるのです。私には、かなわぬことでした。それぞれ個性の大いにある先輩達でしたが、店長以外は皆仲が良く兄弟のような関係でもありました。その店長というと、先輩たちに対しても私に対しても、契約がとれないのは、お前のそこがいけないとねちねち皆の前で説教のような自分の自慢話のような話が延々と続くのです。そんな店長もプレーイングマネージャーですごい数の契約をとっていました。そして、皆から少々嫌われていました。私を含めK先輩・Y先輩の下から3名の若い社員は、店長の夜遅くまでの小言を聞き、うっぷん晴らしのためによく喫茶店に行ったものでした。そんな先輩諸氏の1人から、「クリちゃんは、新人で何もできないのだから、2級建築士ぐらいは取らないとだめだな。」といわれて、必死で2級建築士の勉強をして、そのおかげで見事、2級建築士の試験に合格しました。この、建築士こそが私が夢に見た1級建築士の第一歩になりました。そして、私は前回の様な理由で住宅営業からは離れ、新人監督になったのです。
突然指名された、住宅監督業は?
まずは、やめることになった現場監督の先輩が退社するまで1か月ほどだったと思います。これは一大事ととにかくその先輩のノウハウと現場の把握に最大限に力を注ぎました。なにせ、大学では生きた実務の勉強はしていませんので必死でした。しかし、会社としては苦しい時期で、年々・月々上棟数(住宅を建てること)を伸ばし続けてきていましたが、会社の初期のころで、この時期ともう1度停滞する時期がありました。私にとっては、その時は幸いな事に上棟数が少なかったのです。
楽しかった社内旅行実際は社内旅行でなかった
入社1年目、先輩から今年の社内旅行は、海外へ行くからね!と聞き楽しみにしていました。後日、工場ができるフィリピンへの初めての海外旅行でした。しかし、行く間際にクリちゃんお金の徴収ねというではないですか、ここで始めてわかりました。社内旅行でなく、仲間と行く個人旅行でした。先輩諸氏が皆さん行くし、初めての海外旅行でしたし、すでにパスポートも取得済みです。お金のない新入社員としては、苦しいのですが、行くことに決めました。実際は、先輩達とのコミュニケーションもより深くなり、楽しく過ごしました。
次回は、思わぬことで始まった新人監督時代のお話をしたいと思います。ぜひご覧ください。
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