前回は、契約の勢いが加速するに伴い、現場での波乱万丈の出来事をお話ししました。今回は、プレカット工場のおかげで何とか紙一重でやってこれましたが、拍車をかけた洋風のヒット商品が出てからのお話をしたいと思います。すでに私は退社していますが、ここでは「わが社」と言わせていただいています。
洋風のヒット商品後の現場
①前回には、ほぼ100%の和風住宅の会社が、この洋風のヒット商品が出てからの洋風比率が数段にアップしたお話をしましたが、この洋風住宅が思わぬ効果を発揮しました。
②和風住宅の作りは、外観も内観も職人さんたちの腕がものをいう世界でした。特にいい大工さんでないと和風住宅は、建てることができなかったと言っても過言でありません。
③洋風住宅は、床の間もこらなくても、玄関をこらなくても、1邸1邸仕様を変えることもなくできるのです。日本の伝統の造り・材料を使わなくてもできるのです。大工さんの腕の善し悪しがかなり必要でなくなりました。監督として銘木選び図面下記の仕事も軽減されました。
④現場数が増え、職人さん集めが大変で、特に大工さんはなかなか見つからない状態でしたから、監督たちにとっては、大助かりでした。
⑤そうです、現場の職人さんを集めるのも監督の仕事です。
⑥他社の現場にこっそり入り、大工さんにお願いして頼むわけです。でも簡単にはいきません。
⑦単価(請け負う金額)も高いわけではありませんし、何がいいかというと、「現場が絶え間なくある=遊ばない」という事と我々の「いい家を造る=安くて強くて魅力的な家」という熱意です。
⑧現場監督として、和風住宅でも洋風住宅でもどこにも負けない家づくりができるという思い。和風ならS林業、洋風ならMホームにも負けていないと思いました。
⑨ちなみにこのヒット商品の第1号監督は、私でした。(第1号は展示場です)
⑩内部の社員たちもこの洋風住宅には、今までの洋風住宅がかなりカッコが悪かったので、いたく感動をしたのを覚えています。
その他の出来事
①ヒット商品が生まれる少し前だと思いますが、会社のロゴマーク(看板のデザイン)の社内募集があり、皆で応募しました。私も色々考えて、応募しましたがいいアイディアが浮かばず落選しました。このマークが40年も経っても使われています。誰に作品だったかは、わかりません。忙しくて、そんなことを詮索することも思いませんでした。
②洋風のヒット商品が生まれる前に和風のヒット商品も生まれていました。今まで和風というと大工さんの腕一つと言われていましたが、このヒット商品が生まれることによって、いい和風は、良い企画・良い図面が重要であることが実証されたと思います。
③工場に「乾燥機導入」され、現場での1つの大きなクレームの解消につながりました。わが社は、無垢材を大量に使うのでその欠点でもあるひび割れそり等のクレームが絶えませんでした。多少のひび割れそりは、構造的には何の問題もありませんが、お客様は許してくれません。
④内部の和室・玄関の造作の銘木は、無垢が一番というところもありましたが、この割れそりには、かなり悩みました。時期は分かりませんが、今まで無垢板で施工していた部分を合板に無垢の単板を貼った材料にしていきました。
⑤現場監督をしてから、3年もすると私も色々覚え、自信もつき、後輩を指導していく立場になっていました。
次回は、仕事にも慣れ、後輩もできさらなる工事課の飛躍のために、奮闘したお話をしたいと思います。ぜひ、ご覧ください。
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