お知らせ

わが会社人生に悔いなし!№11

シニアライフ

前回は、契約の勢いが加速する中、プレカット工場のおかげで何とか紙一重でやってこれましたが、さらに拍車をかけた洋風のヒット商品が出てからのお話をしました。今回は、仕事にも慣れましたが、さらなる契約の勢いで、奮闘したお話をしたいと思います。すでに私は退社していますが、ここでは「わが社」と言わせていただいています。

思わぬ話、〇〇大学での社員研修生の話

1984年入社から4年目のある日、当時の社長に「これからは、学術的な根拠の基、強い家づくりをしないといけない。そのためには、現場を知る社員が大学で学び、お客様の家づくりに役立てる必要がある。」違うかもしれませんが、そのようなことを聞いたのを覚えています。「そこでだ、クリちゃんが〇〇大学の研究室に入って、勉強してくれないか?」と言われたのです。ねっからの勉強嫌い、小中学校では、中学3年まで5段階の4の数字を見たことがなかった人間です。即座にお断りしました。もし、私が行っていたら、かなり会社に迷惑をかけていました。私の、思い違いで、社長の気まぐれで、そのようなことをお話ししたのかもしれません。

また、このころより、国の主催するプロジェクト・補助金事業の応募し、次々に受賞していくのですから、すごく勢いを感じましたし、先見性があり事を改めて確認しました。

次々にヒット商品を出すので、現場がパニック?

新しい職人さんも次々に開拓し、奮闘していましたが、それでも足りずに社員全員が職人になって、働くのです。建物の上棟(家の骨組みを現場で組み立てる)は、大工の親方1~2人で後は、監督と営業社員で地下足袋をはいて、家の上棟(棟上げ)をしてしまいました。今では考えられません。危険な行為を社員がしたのですから、しかし、皆でやる気を出し、お客様のためにという思いがあれば、何でもできるものです。基礎工事でも職人さんお手伝いに監督自ら、生コン打ちに精を出しました。そんなこんなで、何とか危機を乗り越えていきました。はじめは慣れないもので、屋根の垂木の間から足を踏み出し、危うくけがをしそうになったり、一番若いからと、クレーン車が使えない現場では、大きな丸太の梁材(野物)を持たされたり(とても1人では持てない重さのものでも、火事場のばかちからで、持ててしまいました)、今から思うといい思い出ですが、大変な時期を乗り越えていました。

次回は、仕事も順調に生いきだし、会社のさらなる飛躍で工事課の改革及び他県に出店することになってからのことなどをお話しします。ぜひ、ご覧ください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました