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わが会社人生に悔いなし!№12

シニアライフ

前回は、仕事にも慣れ、さらなる契約の勢いで、奮闘したお話をしました。今回は、仕事も順調にいきだし、会社のさらなる飛躍で工事課の改革及び産学協同の実験についてお話しします。すでに私は退社していますが、ここでは「わが社」と言わせていただいています。

職人さん・後輩監督への指針づくり

後輩社員も年々入社し、その新人監督・新しくわが社の仕事を請け負ってくれる職人さんたちのためと、「新しい人達がわが社の住宅を造っていくためには、マニュアル書が必要だから、クリちゃん、大工以外のすべての職種のマニュアル書を作成してくれ。」と言われ、途方に暮れました。
何せ、住宅のことは、大学に授業でも、本屋・図書館の本にも、具体的な造り方のマニュアル的な本がなかったので右往左往しました。そして、考えて考えて、悩んで悩んで、「そうだ、住宅のことは、現場に聞けばいい。」と結論が出たのです。
具体的に言いますと、現場の職人さん・施主のお客様に色々教えていただいた事をマニュアルにすればいいと考えたのです。それからは、今まで教えていただいたことを頼りに、また、わからないことは再度、現場の職人さんに聞きに行き、徐々にマニュアルが出来上がってきました。
しかし、なかなか思うようなマニュアルができないのも事実でした。何かというと、私は、絵をかくのが上手でないのです。困って、上司に相談すると、絵の得意な後輩をつけてくれるというのです。
それから、マニュアル書づくりが加速度的に進展し、ほぼすべてのマニュアル書が完成したのです。
今は、立派なマニュアル書ができ、私たちが造ったマニュアル書は使われていませんが、会社人生の中でも、記憶に残る仕事でした。ちなみに、大工さんのマニュアルは、大工出身の先輩が作成しました。このことを通して、以前当時の社長に「クリちゃん、自分以外は、すべての人が先生だよ。」と聞いていたので、迷わず前向きに事が進んだと思います。

一大決心の社員旅行

1985年1月に当時の在籍社員が、絶対落ちないジャンボ旅客機だということで、全員そろって、第1回の海外研修旅行(米国)に連れて行ってもらいました。アメリカの分譲住宅地の建物を見学し、すべてが大きな造りそして、2×4の簡便な構造に感銘しましたが、造作の収まり・建具の建付けの悪い事には、驚き、よくこれでお客様に引き渡すなと思い、「これでは、日本では通用しない」と感じました。そして、まさかこの後1985年8月に絶対落ちないジャンボ旅客機が御巣鷹山に墜落するとは青天の霹靂でした。

大学との共同実物大実験

1985年には、社員が派遣された大学との合同で実物の小さな住宅を建てた、耐震実験・火災実験が行われ、この目で実験を見て、わが社の建物の強さに確信を強く持ちました。火災にあっても、木の柱は墨状になっても芯は残り、建物を支え、鉄骨は高温になると大きく変形して、使い物にならない状態を目のあたりにしました。机上での理論での強さでなく、実際の大きさでの実験での成果は学術的な分野でも相当な評価が下されました。この会社に入社してよかったと改めて思いました。

次回は、さらなる会社の進化の過程と工事課での奮闘のお話をします。ぜひご覧ください。

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