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わが会社人生に悔いなし!№7

シニアライフ

前回は、新人監督としての初めの出だしのお話をしました。今回は、少し慣れてきてからの監督としての様々な出来事をお話ししたいと思います。すでに私は退社していますが、ここでは「わが社」と言わせていただいています。

新人の住宅監督として1人孤軍奮闘

先輩監督が去り、職人さん・住宅営業の先輩諸氏・お客様の力を借り、また、教えを請いながら頑張っえ来ました。わからないことは、職人・営業の先輩に聞き、それでもわからない時は、グループ会社の間の所に足を運び教えを乞うていました。しかし、そのことはグループ間での競争が激しく、営業の計約棟数から現場にはいる職人まで、敵対関係の様でした。私が監督としてやっていた会社は、グループの中でも一番最後にできた会社で、この当時現場での必需であるトラックがなかったのです。1週間前に予定を組み、トラックを所有しているグループ会社の監督の責任者に予約を入れ借りていました。何から何まで新人監督には重責があり、住宅監督としての先輩・師匠はおらず、悶々とした日々を過ごしていました。

画期的なプレカット工場の完成

監督になり間もなく、木造住宅の加工を機械で行う「プレカット第1号工場」が完成しました。その工場での住宅の加工の第1棟目の監督に私の現場がなりました。まず、問題なのは工事を請けてくれる大工さんへの説得です。工場が完成する前から、大工さん同士で「大工が墨付け加工をしないなら、大工でなくなるから、俺はやらないよ。」「プレカットは、間違えだらけでとてもかなわないよ。」とかいう話が大勢でかなり苦労をしました。特に1棟目の時の上棟(家の骨組みをくみ上げていく日)は、大工さんたちが言っていたように間違いだらけで、頭を下げまくりでした。でも、何とか乗り切り、3棟目くらいからは、プレカットでの上棟の間違えが無くなりました。普通の大工がやると1件当たり、3~5か所くらいは、間違えがあり、やり直しをしていましたので、画期的です。これで、どんな大工がやろうが均一の住宅の骨組みが完成することになったのです。もちろん、棟梁と呼ばれる大工さん(単なる棟梁でなく、大工仲間からも尊敬されて、慕われている大工=私の先生・師匠)は、100坪の家であろうがほとんど間違えがありません。のちのコンピューター制御のプレカットの機械レベルです。まだまだ、このころのプレカットの機械は、人力を使うこともままありました。そして、「プレカット第2工場」ができることになり、3つのグループ会社の現場監督が一堂に集まることになったのです。私としては、これでグループの監督が一緒になり、協力して現場を動かすようになるわけですから、一気に悩みが解消するのでした。ただ、仕事量は想像を絶する量で同僚、先輩諸氏と日々悩みながら、過ごしておりました。

次回は、監督が一堂に集まり、日々格闘する出来事のお話をしたいと思います。ぜひご覧ください。

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