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三種の神器 60年程前の生活

シニアライフ
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 私は、静岡で生まれ育ちました。途中、大学には東京に行き、その後地元に帰り、建築業の仕事につきました。会社では、10年程地元で勤務した後、転勤で現在の住まいの愛知にやってきました。それから、32年程経過しています。現在は、時折高齢の母の介護(手伝い)のために、愛知から静岡に来ています。
 先日、実家に帰った時にふと、60年程前のことを思い出し、昔の生活のことを考えました。私が、幼少の頃の憧れの電化製品=「三種の神器」について、思いを巡らせました。今回は、この「三種の神器」について、お話しします。

「三種の神器」とは

60年程前の三種の神器? 豊かさにあこがれた象徴の耐久消費財の家電製品3種(私の幼少期・1950年代後半以降)

①白黒テレビ
②洗濯機
③冷蔵庫
どの電化製品も今では当たり前にどこの家庭でもありますし、ないということは考えられませんよね。ただ、白黒テレビは、もちろんカラーテレビになります。

私の家の昭和30年代

私の家の場合
①白黒テレビは、ありませんでした、近所の床屋さんとかテレビのある家で見させてもらいました。東京オリンピックも同様にTV観戦しました。
もちろん1回目の東京オリンピックで東洋の魔女のバレーボールの試合を床屋さんで見た記憶が鮮明にあります。たくさんの人たちで興奮してみていましたので、今の時代よりも華やかだった気がします。
②洗濯機は、ありませんでした。たらいに洗濯板で母は洗濯していました。
 床屋さんお友達の家で脱水をハンドルで廻して行う洗濯機を見たときは、ひどく感動しました。よく母は、たらいなんかで家族の洗濯をできたなと感心しますし、今では当たり前にあるボイラーもありませんでしたので、お湯でなく水で洗濯していたのですから驚きです。
③冷蔵庫は、ありませんでした。近くの八百屋・魚等で毎日のように買い物をしていました。
 今のようにスーパーマーケットがありませんでしたので、野菜は八百屋、魚は魚屋、肉は肉屋とそれぞれの店に毎日のように買い物に行っていたと思います。不便に感じますが、それが普通でした。

そんな生活で不便でなかったか、哀れでなかったか?

今の世の中では、考えられないことですが、同様の友達もたくさんいたので不便に感じることもなく、哀れとも思わず、苦にもなりませんでした。その時代でも我が家は、貧乏な暮らしだったと思いますが、金持ちの息子も貧乏人の私のような息子でも、周りの人たちが平等にかまってくれましたし、不便とかは感じませんでした。しかし、中学生になるとうらやましくもあり、不便さを感じ始めたのではないかと思います。今の生活が夢のようでありがたく、改めて幸せを感じます。

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