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わが会社人生に悔いなし!№2

シニアライフ

前回では、晴れて希望していた会社に入るまでのお話をしました。今回は、入社してその後のお話をします。

入社時の配属希望と現実

大学の建築科で学んだということもあり、設計希望でした。現実は、これから伸びていく勢いのある会社で新人19名の中では、大学卒は全員学部に関係なく営業の配属されました。他の社員は、現場監督・工場に配属されました。私は、設計希望でしたが後々わかりますが、設計には向いていませんでした。ですから、自分の希望・やりたい事は、会社に入って経験をすると変わることも大いにあることだと、多くの友人のその後を見ても感じました。ですから、今が自分の理想でなくとも将来の自分には理想の仕事になることも大いにあります。

わが社の先見性(すでに退社しましたが、私にとってわが社です)

①入社当時の1980年は、建築業界は男社会で女性は、ほとんど見かけませんでした。大学の建築家でも何百人の中で1人でした。今では考えられませんよね。何と私の同期には、女性が何人かおりました。
②当時は、住宅は大工さんが材料を材木屋さんで選び、大工さんの加工場か材木屋さんの加工場で大工さんが墨をつけ加工して、現場で家を建てた時代でした。その中、プレカット工場を市内に建設し、機械による墨付け材料加工するのは、大工業界ではありえない話でした。大工さんは、墨付け加工ができてなんぼの世界でした。
③地元の小さな工務店が大きなプレハブ会社が入る住宅展示場で商売することは、考えられないことでした。大手の中で小さな工務店が存在感を示していました。
④大工・工務店の住宅の見積りは、その場その場のどんぶり勘定でしたが、(建てて見ないと金額がわからない)わが社は坪単価性を取り、例えば、坪30万の家ならば、標準施工ならば、どんなに大きな家を建てようが同じ坪単価の見積りでした。素人のお客様に大変分かりやすい見積り形式でした。
⑤当時の職人さんたちへの発注は、1件ごと単価が違うのは当たり前で、「この現場は辛抱してくれ、次の現場でもうけさせるから」という具合で発注単価もまちまちで口約束も多かったです。しかし、わが社は、職人さんたちへのお付き合いもとてもシンプルで、お客様同様、標準施工ならば、どのお客様でも同じ単価で発注をしていました。ですから、新人監督が騙されたり心を痛めることは少なかったです。
⑥当時の工務店・大工さんは、耐震については、あまり考えずに昔の伝統工法を疑問もなく建てていました。わが社は 、愚直なばかりに地震に強い家をと考え、標準施工では、どこよりも太く多くの材料を使い、筋違い(家を強くする斜めのつっかい棒の様な材料)野物(大きな丸い梁)の数は、圧巻でした。
⑦当時の工務店は、監督が見積り・発注・請求書管理を行っていたのがほとんどだつたが、わが社は見積り・請求書業務と監督業務が別になっており、監督は現場の管理をしっかり行えばよかった。発注業務は、初めのうちは現場監督が行っていたが、のち発注業務はやらなくてもよくなった。

まだまだ、入社当時のことは、話が尽きないのでここまでとし、続きは次回お話しします。
ぜひご覧ください。

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