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わが会社人生に悔いなし№28

シニアライフ

前回は、「1級建築士」以外の資格試験へのさらなる闘志がわき、次の資格試験に望んだお話をしました。今回は、会社での出来事の続きをお話しします。私は退社していますが、ここでは「わが社」と言わせていただいています。ぜひ、ご覧ください。

21世紀の始まり

2001年は、わが社でもこの当時に話題のISO9001に浜松工場・栃木工場・九州工場で取得し、名実とも木造住宅のパイオニアとしての地位を築いておりました。入社当時は、材木屋さんの加工場を借りて、大工さんが小さな機械で構造材を加工していたことを思いますと感慨ひとしおです。その当時、このように世界でも認める工場で無駄のない、正確な、そして安全な作業ができるようになるとは、想像もつきませんでした。人間の知能・技術と機械の正確な作業が融合した、わが社の魂でもある工場の曙でもあったと思います。

これらの工場で、わが社の悲願でもあった「地震が来ても倒れない、なおかつ人命が助かる建物」である「免震住宅」が2002年には、500棟に達成しました。そして2003年には、1,000棟になりました。わが社の地震対策への思いが数字で見ても日本全国に届いたと思います。また、地道な作業として、「お客様のための家づくり、わが社で建ててよかった。」を実践すべく、発祥の地である東海地域の引渡し済みお客様10,000棟を対象に耐震補強工事を無償で行ったのです。社員の私もなんてことをする会社なのだろうと驚きました。しかも、わが社らしく、社員自らこの耐震補強工事をやったのです。この会社に入社してよかったと思った出来事の1つでした。本当に誇れる会社です。

工事課での一区切り

2002年頃には、わが社も北海道・沖縄以外の主要都市には、展示場ができ工事課の社員も全国に広がりました。それぞれの地区で優秀な社員が育ち、また、本社にも優秀な社員が多数育つ状況になりました。すでにアメーバーの様に発祥の地浜松、私が活動したしてきた愛知周辺地域に負けず劣らぬ、工事課が次々にできてきたところでした。私の工事課での西日本地区全体の責任は、他の社員に任せて全然問題がない状況でした。それよりも新しい時代の流れの中でふさわしい人が工事課を束ねていく時代になったと感じておりました。新しい分野で私たちの世代の社員は、活躍するときだと「わが社のルネサンスが発動されました。」私は、リフォームの世界に行くことになりました。これからは、わが社が培ってきた事を生かして、OBのお客様のリフォーム工事に生かしていき、一般のお客様にもわが社の技術を生かして、地震に強いリフォーム工事を手掛けていくことになりました。大変重要な仕事でまた1からやっていくと思うと心配な面のありましたが、心躍る部分も多くありました。わが社に創立間もない時に入社して、わけのわからないことも多く、理不尽なことも多くありましたが1つ1つ地道に行ってきた事が今に生きていると思うと同様の事を地道の行おうと力が沸き上がってきました。

次回は、リフォーム営業部での奮闘のお話をしたいと思います。ぜひ、ご覧ください。

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