今回は、45年ほど前の予備校・大学生活の事をお話しします。ぜひ、ご覧ください。
大学受験生活
①将来は建築士になるために大学の建築科を目指して、高3の時には頑張っていました。そして、大学は東京に決めていました。その頃は、大学=東京(東京で成功して錦を飾る)という考え方があったようです。しかし、受けた大学はどこも受かりませんでした。
👉この1浪した経験は、粘り強くあきらめない気持ちが、後の人生に生きたと思います。
何事も人それぞれ!
②余裕がない家庭でしたので自分の力で何とかしたかったのですが、ふと目にした新聞奨学生制度が目に留まり、東京の予備校に通いながら新聞配達をして自力で学費・生活費を賄うことができました。
👉この経験で朝にはめっぽう強くなりました。早起きは三文の徳!
③やっとの思いで大学の建築科に合格し、未来への夢が広がりました。引き続き新聞奨学生として、働きました。
👉家族を養うことでなければ、1人なら何とかなる。
挑戦して夢に近づく!
👉東京で全国から集まる友人と交流できたことは今でも心の財産です。
金はなくとも心は錦!
大学生活
①大学2年後半になると時間のゆとりができ、新聞奨学生をしながら、大学生活のあこがれにサークル(民族舞踊同好会)で活動をしました。
👉現在でも宝塚・ミュージカルを見て楽しめる素ができたと思います。
人生歌って踊る幸せ!(踊れませんが)
②新聞奨学生に合わせて日本学生支援機構の奨学金も借りていたので留年するわけにはいかず、4年で卒業するためにサークルをあきらめ卒論に力を注ぎました。
👉2兎を追う者は1兎をも得ず!だと思いましたが、挑戦すべきだったと思います。
後悔先に立たず!
③卒論は、やりたかった住宅でなく、農業センターなどの公共施設の卒論を出しました。
👉住宅については、就職した住宅会社で悔いなく行うことができました。
そして、農業関係の施設の学びは、現在農業振興のNPO法人で活動し、共同家庭菜園を借りて、野菜 作り に励んでいますのでその影響かもしれません。
趣味が節約・生きがいに!
④この時代は、音楽はジャズあり、フォークあり、歌謡曲あり、ロックありのなんでも面白い時代でした。私もそれぞれの音楽を十分楽しむことができました。踊りも私が入ったサークルのフォークダンスあり、ディスコありの面白い時代でした。まだ少し学生運動も残っていたこともあり、危険な面もありました。
👉何事にも興味を持たせてくれた大学生活だったと思います。
何事にも興味が湧くことができる今があると思います。
大学での全国からの友人は、なかなか会うことができませんが、今でも交流があり10年ほど前の2011年~2012年には、東日本大震災の復興支援の手伝いで行った時に関東・東北にいる大学時代の友人と会うことができ、人生の貴重な時を過ごすことができました。会うと35年の時を超え大学時代の青春が戻ってきました。
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